■科挙の話1

日本はその歴史上、隣国の中国と深く関わってきました。漢字の例を挙げるまでも無く、現在に至るまで中国から伝えられたもので、日本の文化や政治、科学や建築等の分野で、多大な影響を与えたものは無数に存在します。その中国発祥のもので、日本に伝わらなかったものが三つあるとも言います。それが科挙、纏足、宦官の三つだと言われます。纏足は古代の中国で女性の足をきつく縛り小さい足に仕立てた習慣、宦官は古代中国の主に宮殿や後宮等で働いた去勢済みの男性のことです。科挙は現代で言う公務員採用試験で、古代中国で始められました。厳密に言えば科挙は日本に伝わり、平安時代の日本において科挙を模した試験が行われているのですが、規模が小さく、また期間も短かったために日本の歴史に大きな影響を与えていません。
現代の日本は高等学校や大学は言うに及ばず、公務員採用試験や医師や弁護士などの国家資格試験、企業の採用試験など、ありとあらゆる試験で溢れています。こうして現在の日本にすっかり定着し、社会においてその存在が大きな影響を与えていると言える試験ですが、そのルーツは古代の中国に端を発する科挙だと言ってもいいでしょう。ここでは簡単に科挙の歴史について紹介することにします。
科挙とは官吏登用試験です。中国で科挙が創設されたのは西暦598年、王朝で言えば隋の時代です。それから1905年、清末の時代に廃止されるまで何と1400年の長きにまで存続しました。かくも長く続いたということは、それだけ中国の歴史や文化に大きな影響を与えたことは言うまでもないでしょう。
そもそも科挙という語は「(試験)科目による選挙」を意味します。ここで言う選挙とは現代で使われる意味ではなくて、伝統的な意味です。それは官僚へ登用する為の手続きを意味します。またここで言う科目という言葉も、現代の国語や数学、英語などと言った学校で習う教科ではなく、科挙受験に必要とされる学識の課程を指します。科挙の実施風景は現在の試験の風景と全く異なります。受験者は一人一つずつの部屋に分けられ、制限時間は特に決められておらず、じっくり時間をかけて解いてよいという試験でした。
科挙は隋朝を起こした皇帝楊堅(文帝)によって初めて施行されましたが、実際のところ隋から唐の時代にかけては、門閥とも呼ばれる勢力や、貴族として高い地位に生まれた者たちが高い地位を独占しており、実際のところ科挙はその効力を左程発揮できていませんでした。これがやがて時を経て北宋の時代になり文治政治が盛んになると、科挙によって登場した官僚たちが士大夫と呼ばれる新しい支配階級を形成していき、ここに至って彼らは勢力を拡大させると共に政治、社会或いは文化の面において大きな変化をもたらすようになります。従ってここで科挙が果たした役割は小さくないと言えます。士大夫たちは、科挙によって地位を掴み官僚になる事で名声や権力を得て、さらにそれを元にして大きな富を得ていったのです。

現在の日本における学歴社会では、特に一流と呼ばれる学校の入学試験に合格すれば、半ば将来の成功が約束されたようになっていて、従って試験に合格することが大きな意味を持っています。これはある意味、当時の科挙に合格すれば権力を手にすることができ、名声をほしいままにできた歴史とつながっていると言えます。

おすすめWEBサイト


和歌山で注文住宅を建てるなら


Last update:2023/4/19